鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫 「爽やか」 秋の澄んだ空気の心地よさを表す言葉なので、俳句では秋限定。 若い世代に俳句の楽しさを知ってほしいとの思いから 2019年11月20日 (水) 18時50分. メイン 「鮪(まぐろ)」 一年中店頭に並んでいるけれど、旬の関係から冬。, 芭蕉が「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ山形県・山寺(立石寺)に立つ、芭蕉と弟子・曾良の像。丸岡ジョーさんによる写真ACからの写真, 通称TAKE-G(たけ爺)。福岡県飯塚市出身。東京で生活を始めて40年を過ぎても、いまだに心は飯塚市民。もともとファッション誌から始まったライター歴も30年を数え、「和樂」では15年超。日々の自炊が唯一の楽しみ(?)で、近所にできた小さな八百屋を溺愛中。だったが、すぐに無くなってしまい、現在やさぐれ中。. 「海苔(のり)」 一年中出回っているけれど、季語としては春。 ご投稿をお待ちしています。 「虎が雨(とらがあめ)」 曾我兄弟が討たれた日の雨が虎御前が流した涙だったという言い伝えから。, 「八月」 旧暦では秋に分類されるため。8月の行事などもすべて秋の季語。 「ぶらんこ」 中国伝来の遊具は、蘇東坡(そとうば)の詩から春の季語に。 「俳句は楽しむもの・苦にするものではない」 初心者が「名句」でなく「迷句」を作っても 恥じることはありません。 「迷句でも楽しめば良い」と割り切って 5・7・5を口ずさみましょう。 その内に、まぐれでも「名句」が出来るのが、 俳句の面白さです。 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/web-1bc9.html 2019年12月13日 (金) 09時47分, SNS世代に俳句の楽しさ・面白さを知ってほしいと、 銃後といふ不思議な街を丘で見た 渡辺白泉

草二本だけ生えてゐる 時間 富澤赤黄男, また篠原鳳作や渡辺白泉、西東三鬼らは、伝統的な季語に対して「ラグビー」「タイピスト」などの都会的で社会性の強い言葉、「母」「愛」「死」などの詩的なインパクトの強い言葉(詩語)を用いて句作を試みた[25]。1937年に日中戦争が起こると、「無季俳句本来の面目を耀かせる絶好の機会」(三鬼)とされ、季語に対して「戦争」をキーワードとする戦争俳句が新興俳人たちによって積極的に作られた。特に三鬼は内地にいながら戦地の光景を想像して詠む戦火想望俳句を推進し、草城や東京三(秋元不死男)らもこれをつくったが、従軍した俳人による前線俳句(富澤赤黄男、片山桃史)、銃後の生活を題材にした銃後俳句(渡辺白泉、井上白文地)なども多数作られている[26][27]。, これらの新興俳句運動は1940年、政府からの言論弾圧を受けて終焉に追い込まれるが(新興俳句弾圧事件)、個々の新興俳人の活動は戦後に復活してその流れが受け継がれ[28]、従軍した鈴木六林男、戦火想望俳句を作った三橋敏雄などは戦後も続けて無季による戦争俳句を作り続けた[29][30]。, 兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り 西東三鬼 « プレバトの俳句「鏡」 |

http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/post-f4d8.html

「夜食」 仕事が多忙になる時期=秋ということから。 「秋遍路(あきへんろ)」 遍路のみだと春の季語なので、秋をつけて。 祇王寺の留守の扉や推せば開く 大正14年

襟にふく風あたらしきこゝちかな 与謝蕪村

原則「季語」が必要だか、季語のない俳句もある。それを「無季俳句」という 投函のたびにポストへ光入る 山口優夢, 例句は主として『無季俳句の遠心力』所収の酒井弘司編「無季俳句100選」から選んでいる。, 雑の句は四季の聯想なきを以て、その意味浅薄にして吟唱に堪へざる者多し。ただ雄壮高大なる者に至りては必ずしも四季の変化を待たず。故に間々(まま)この種の雑の句を見る。古来作る所の雑の句極めて少(すくな)きが中に、過半は富士を詠じたる者なり。しかしてその吟唱すべき者、また富士の句なり。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=無季俳句&oldid=78921432. 雨季来りなむ斧一振りの再会 加藤郁乎, 前衛俳句運動は難解化・抽象化に対する批判、前衛俳人同士の対立が起こったこともあり、やがて俳壇に起こった伝統回帰の流れの中で収束していった[33]。その後の1989年、金子兜太編による『現代俳句歳時記』に「無季・ジュニア」の部が作られ、また高柳重信を師とする夏石番矢は、季語による俳句に替わるものとして「キーワード俳句」を提唱、1996年に『現代俳句キーワード辞典』を編んだが[34]、前衛俳句運動以降は無季俳句をめぐる大きな動きは起こっていない[35]。宇多喜代子は1997年「ただ今の無季俳句」という文章で、かつて有季俳句と無季俳句との間にあった二項対立的な関係が現代の俳句では薄れていると指摘した。またその一方で現代の生活の中で伝統的な季語に対する実感が薄れて季語が虚構化しているとし、そのような虚構化された季語で作られた俳句はもはや無季俳句なのではないか、と述べた[36]。坪内稔典は同年の論考「季節と俳句」で、今日の無季俳句は季語が洗練されていくことへの一種の警鐘として意味がありそうだと書いている[37]。, 雨の朝のたましいにパセリを添えよ 池田澄子 このブログ「俳句HAIKU」を書いています。 をご覧下さい。, 投稿: こんにちは。俳句部 部長のおやまんです。まずは俳句にとって大事なことをみなさんに知ってもらいたいと思います。もんのすごく簡単に言います。大事なことは2つだけ。 コメント:StaticURI = 'http://static.blog.enjoy.jp/.shared-enjoy/';
「蕨餅(わらびもち)」 季節があるのは意外だが和菓子には春の季語が多い。 世にふるもさらに宗祇のやどりかな   同   一句の中に季語を二つ以上使うことを季重なりといい、避けるべきとされています。狙いが分散し一句の中心が曖昧になってしまうからです。しかし季重なりでも、季語の主従がはっきりとしていて主の季語がきちんと働い

秋 立秋(8月7日前後)から立冬(11月7日前後)の前日まで

「目高(めだか)」 春の川を泳いでいるイメージだが夏の季語。
「お花畑」 能天気を表す現代の意でなく、高山植物をさした言葉。 季語や季感を持たない無季俳句や、定型からの自由を目指す自由律俳句も、詩感の追求という点で共通するため俳句に含むのが一般的であるが、それらを俳句と認めない立場も存在する。 また、英語などの非日本語による3行詩も「Haiku」と称される。

http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html

遺品あり岩波文庫「阿部一族」 鈴木六林男 一句の中に季語を二つ以上使うことを季重なりといい、避けるべきとされています。狙いが分散し一句の中心が曖昧になってしまうからです。しかし季重なりでも、季語の主従がはっきりとしていて主の季語がきちんと働いていれば構わないとされています。そうは言っても季語が三つ以上となると論外。そういうと必ず, はどうなんだ、という方が現れます。素堂は江戸中期の俳人。そもそも江戸時代には歳時記が今ほど整備されていませんでした。季語の数も少なく、季重なりという概念もあまり意識されていなかったようです。季重なりがはっきりと避けられるようになったのは明治以降のこと。, あるとき番組にみえたゲストが「正岡子規はけしからん」と憤慨なさっていたことがあります。子規のおかげで俳句が堕落したとのこと。季重なりを厳しく言うようになったのは子規のせい。皆が集う座の共同作業から生まれた俳諧(連句)が衰退し、個人の作品として発表する俳句が隆盛をみたのも子規の責任だというのです。子規の功罪はともかく、季語が二つ三つ平気で入っていた時代の大らかさに私も憧れます。, 季重なりは現代でも許容する俳人もいますから一概には言えませんが、初心者のうちは避けたほうが無難。例えてみれば、就職活動の会社訪問のようなもの。リクルートスーツなら一色でコーディネートが完成。これが季語一つの世界。面白くないかもしれませんが減点にはなりません。一方、季語を二つ入れるのは、ジャケットとパンツ。それもアリだとは思いますが、コーディネイトのセンスが問われます。. その内に、まぐれでも「名句」が出来るのが、

夏 立夏(5月5日前後)から立秋(8月7日前後)の前日まで

魚くさい路地の日だまり母縮む 坪内稔典 公園の茶屋の亭主の無愛想 昭和16年, 上記のように俳壇の主流を占めていた「ホトトギス」の伝統俳句に対し、1931年の水原秋桜子の「ホトトギス」離反を始点として、反伝統・反「ホトトギス」を旗印とした新興俳句運動が起こる。当時の青年層を中心とした新興俳人たちは「ホトトギス」にはない近代的な叙情の表現や社会性の表現を目指し、一句では表現できない主題を連作俳句によって表現しようとしたが、このような連作において同一季語の重複を避ける意識から無季俳句が現われはじめた[21]。こうした動きの中、「天の川」主宰の吉岡禅寺洞は1934年にいち早く無季俳句の容認を宣言し[1][2]、以後無季俳句は新興俳句の主要な特色のひとつとなっていった[22]。, 新興俳人たちの中でも無季に対する立場はさまざまであり、例えば連作を積極的につくり無季俳句が注目されるきっかけをつくった秋桜子や山口誓子たちは無季俳句を認めない立場をとっている[23]。一方無季俳句を作った新興俳人たち(「無季派」と呼ばれた[24])も、その立場は一様ではなかったが、季語があってもなくてもよく、題材の季感の有無に応じて有季と無季を使い分ける「無季容認派」、季語や季感の有無を問わず句の詩感を第一とする「超季派」に大きく分かれる[2]。前者は日野草城や吉岡禅寺洞、後者は富澤赤黄男や篠原鳳作が代表的な俳人である[1][25]。(※以下、例句は戦後の作を含む), 一握の砂を滄海にはなむけす 吉岡禅寺洞 面舵を取りて灯台右舷に見 昭和15年 俳句に季語が使われるのは、季語が「一言で色々なことを連想させる言葉」だからと説明しました。でも、季節と関連付けられない言葉でも、連想の膨らむ言葉はあるはずです。それをうまく使えば、季語なしの俳句も作れます。それが無季俳句(むきはいく)です。, Q.歳時記に載っている言葉が、季節と関係なく使われている場合は、季語と呼んでいいのですか?グレーゾーンです。, 例えば、蝶は春の季語ですが、「蝶の標本」だとオールシーズンです。こういう場合は、「蝶は春の季語だが、作品の季節は春ではない」ということになります。, これを無季俳句と呼ぶかは、分かりません。個人的には、どれを無季俳句に分類するかには、こだわらないようにしています。とはいえ、季語と作品の季節感の関係を考えること自体は、頭の体操になります。, Q.季語がなくて俳句と呼んでいいのですか?もう100年くらい経って、考えさせてください。, 俳句は「季語を入れた五七五」だと言われています。しかし、結果的に季語がなかったり、作品に季節感がなかったりしても、一定の人が「俳句らしさ」を感じる作品があるのは事実です。そういうケースがたくさんある以上、「季語がないから俳句じゃない」と切り捨てるわけにはいきません。, 季語という言葉自体は、明治時代にできました。しかし、季節と結びついた言葉を特別扱いする習慣には、千年以上の歴史があります。その積み重ねがあるから、季語が便利に使われています。, 一方、無季俳句の歴史は百年弱です。まだまだ始まったばかり。季節と結びつけなくても、多くの人、広い世代に通じるような言葉のストックができれば、「無季俳句は俳句だ」と胸を張って言えるようになるでしょう。, とはいえ、分類にこだわり過ぎて、俳句を味わうのが楽しくなくなるのはもったいない。ですから、季語があろうとなかろうと、ピンと来た作品をじっくり味わうようにしています。, Q.ピンと来るのはどうしてだと思いますか?作者が心動かされた瞬間を想像できたからだと思います。, 感性の問題なので、究極的には「人それぞれ」ということになります。ですから、あくまでも私の場合でお答えします。, 犬に向かって「お前も宿なしか」と問いかけています。「お前も」ですから、「私も宿なし」です。お互い気の毒な状態です。でも、声に出して犬に呼びかけてみると、犬が「山頭火おじさん」についてきている様子全体が、漫画の一コマみたいに見えてきて笑えます。, 季語はありませんが、よく知られた「犬」を登場させたことで、多くの人が情景をイメージできます。その犬に向かって、知り合いに話しかけるように問いかけるのもほほえましい情景です。, 「宿なし」は、この言葉自体はあまり使わなくなりましたが、字面からして、泊る所や帰る所がない状態が分かります。, 困った状況をユーモラスに表現しています。シリアスな俳句にハッとさせられることもありますが、どちらかと言えば、笑える俳句が好きです。, 先ほど紹介した俳句に「おまえ」という言葉が出てきましたが、表記は「おまへ」になっていました。古文と同じ書き方、つまり、歴史的仮名遣い(かな づかい)です。, 小説は、戦前に歴史的仮名遣いで書かれた作品でも、現代仮名遣いに書きなおして出版されることが多いです。, これには俳句の歴史が関係しています。というわけで、次回は歴史の話をします。「入門」なので、難しくならないよう頑張ります!, 記事の内容については、細心の注意を払っておりますが、書き間違いや勘違いが含まれることもあります。コメント欄などを通じて教えていただけると、後学のためになります。よろしくお願いします。, よろしければサポートお願いします。本の購入費にあてます。本を読んだらパワーアップして、もっと良い記事を書きます!, 俳句の読み方を提案するシリーズ。一問一答形式。私自身がつまずいた俳句用語を中心に取り上げます。, 無季の俳句や自由律にもいずれ挑戦したいとは思ってますが、基本をおさえたうえでチャレンジします. 戦どこかに深夜水のむ嬰児立つ 赤尾兜子 「目刺(めざし)」 季節を問わない食べ物と思いきや、春の季語。

をご覧下さい。, 「俳句は楽しむもの・苦にするものではない」 「山笑う」 明るくなった日差しのもと、生気に溢れた緑色の山の姿を表す。 | 亡き母や海見る度(たび)に見る度に 小林一茶, 明治中期、正岡子規は天保以来の宗匠俳句を陳腐に堕した「月並調」として退け、連句から独立した俳句をれっきとした文藝の一分野であると宣言し、写生の方法を機軸として俳句の近代化を進めた[9]。『俳諧大要』(1899年)では、子規は俳句における季語について、その季節に関する広い連想を呼び起こすものであり、俳句という短い形式において必要なものと位置づけ、「四季の聯(連)想を解せざる者は終(つい)に俳句を解せざる者なり」と書いている。その上で無季(雑)の句について、, と書き、富士山を詠んだ句なら無季でも構わないだろうという認識を示している[10]。子規自身も富士を詠んだ無季句の実作を試みており、子規の死後にまとめられた句集『寒山落木』(1924-26年)には「不二は朝裾野は暗のともし哉(かな)」「富士の山雲より下の広さかな」といった句が収められているが、いずれも拾遺句・抹消句として収録されているもので成功作ではない[11]。, 子規の没後、明治40年(1907年)頃から大正期にかけて河東碧梧桐が新傾向俳句運動を推進し、季語の暗示的な用法や、写実主義の影響のもと、人為を廃して対象に迫るべきことを説いた「無中心論」を展開、結果として定型や季語(季題)・季感は軽視された[12][13]。碧梧桐自身は季語・季題を捨てることまではしなかったが、この新傾向俳句運動の周辺から、「層雲」主宰の荻原井泉水やその弟子の尾崎放哉、種田山頭火、「試作」(のち碧梧桐に代わり「海紅」主宰)の中塚一碧楼が[14]、それぞれ季語や定型に囚われない句作を提唱し、彼らによってしばしば無季・口語によって作られる自由律俳句の流れが作り出されていった[15]。また自由律は栗林一石路や橋本夢道を中心に、季題に囚われないプロレタリア俳句運動を展開した[14]。, 走つてぬれてきて好い雨だという 荻原井泉水 「ボートレース」 3月から11月まで開催されるけれど、季語としては春限定。 いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄, 戦後になると俳文学者の潁原退蔵らによって無季俳句の学問的裏づけがなされ[2]、俳句が季語を要するという考えが連歌の約束ごとに由来するもので、俳句形式にとって本来必須の要件ではないといったことが説かれた[31]。実作においては初期には富澤赤黄男らを中心とした「太陽系」「薔薇」などで展開されたが、無季俳句の議論が深まるのは昭和30年代の前衛俳句運動においてである[2][1]。もともと社会性俳句の流れの中にいた金子兜太は、「創る自分」と呼ぶ主体意識を明確にしながら暗喩的なイメージを獲得することを説き[32]、現代社会に生きる人間の表現を目指した。一方富澤を師とする高柳重信は、多行俳句の実践などによって言語芸術としての俳句表現を志向した。前衛俳句運動はこの二者を中心として展開し、内面意識の表現や新たな詩的感覚を目指す中で折々に無季俳句が作られていった[33][2]。金子兜太を中心とする流れの中には堀葦男、林田紀音夫、島津亮、八木三日女などの俳人がおり、高柳重信に近い立場の俳人には他に赤尾兜子、加藤郁乎などがいた[33]。, 湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太 俳句の説明として 「苺(いちご)」 現在は冬や春の出荷量が多いけれど、本来は夏が旬。 テレビ番組「プレバト!!」の「俳句の才能査定ランキング」の人気とともに、俳句に対する注目が高まってきています。, 毎回、季節の写真から芸能人・有名人が詠んだ俳句に対する、夏井いつき先生の講評が痛快で面白く、添削後の変わりようも素晴しいの一語! 番組の影響で、俳句のすごさが広く知られるようにもなりました。, 俳句は、五文字・七文字・五文字の計17文字(17音)でつくった日本独自の定型詩です。, 国語の授業で取り上げられることから、多くの人が俳句に親しんできた経験をもっていて、日本の俳句人口はなんと800万人とも1000万人ともいわれるほど!, 今では日本語のみならず、外国語にも”HAIKU”が広がっていて、世界的なスケールになってきています。, その分類には細かい内容もあるのですが、最もわかりやすいのが、俳句には季語があり、川柳には季語がないということです。, 俳句は基本的に、自然を文語で詠嘆するものなので、四季折々の自然を象徴する季語が欠かせません。, それに対して、川柳の対象となるのは人や世の中。それを口語で表現するというところに大きな違いがあります。, 夏の季語「滝」。涼を求めて(達沢不動滝) © Koichi_Hayakawa クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際), 季語というのは、その選び方、使い方ひとつで俳句のよしあしを左右する重要なカギ。その季語を季節ごとに分類して解説と例句を加えた「歳時記」は、俳人にとっても手放せないものだといいます。, 俳聖と呼ばれた江戸時代の俳人・芭蕉。『肖像集8.松尾芭蕉』栗原信充 国立国会図書館, 春夏秋冬の季節ごとに装いを変える自然に恵まれた日本では、古くから季節ならではの趣を味わうことが大切にされてきました。, それは美術工芸において特に顕著ですが、文学においても『万葉集』のころから季節を題材にした歌が詠まれてきました。, 平安時代後期に能因(のういん)が著した『能因歌枕(うたまくら)』には、風物を表す言葉が月ごとに分類されていました。これが季語という概念の初期とされます。, 鎌倉時代に成立した連歌(れんが)では複数の人が参加するため、コンセンサスの必要性から、連歌の最初の発句(ほっく)にはそのときの季節を詠まれるようになり、続く室町時代にも受け継がれます。, 江戸時代になって俳諧(はいかい)が成立すると、自然のみならず身近なものまで、さまざまな季語が集められるようになります。, たとえば、『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』を書いた滝沢馬琴(たきざわばきん)が享和3(1803)年に記した『俳諧歳時記』には2600の季語が集められていたとか。俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)も季語の発掘を推奨していました。, そして、季語の重要性は明治時代に俳句の近代化に取り組んだ正岡子規(まさおかしき)、高浜虚子(たかはまきょし)らに受け継がれ、今日に至っているのです。, 新しい季語は近代以降も、俳人が俳句に取り入れ、それが歳時記に採集されるという形で増え続けてきました。, それは、俳句をたしなむ人たちの結社や同人会による違いもあって、現在季語とされている言葉は軽く5000を超えるほどです。, また、最近は海外で暮らす人や外国人の俳句愛好家が増えていて、その土地ならではの季語も登場しているのだとか。, さらに、五七五の定型にこだわらない「自由律俳句」や、季語にとらわれない「無季俳句」なども発展していて、俳句も季語も、時代とともにアップデートされているのです。, 春 立春(2月4日前後)から立夏(5月5日前後)の前日まで

冬 立冬(11月7日前後)から立春(2月4日前後)の前日まで, ※立春、立夏、立秋、立冬は二十四節気のひとつで、それぞれの季節の始まりを意味し、年によって日にちは異なります。, 実は、江戸時代までの季語は旧暦にそっていて、明治時代の初めから新暦が用いられるようになっても、季語は旧暦のまま。, 新年は旧暦では春、新暦では冬。地方によっては旧正月で祝うところもあって、混乱を避けるために正月行事は一括して新年の部として独立させる場合が多くなっています。, また、「七夕」や「盂蘭盆(うらぼん)」などの日本古来の年中行事も、地方によって新暦と旧暦に分かれています。そのため、旧暦で用いることが優先され、季語と実際の時季のずれが感じられるようになっているのです。, 『新版・俳句歳時記』(雄山閣)を開いてみると、春夏秋冬それぞれに時候の言葉が並んでいるのですが、中には聞いたことのない季語や不思議な季語、意外な季節に設定されている季語がいくつも!, 「猫の恋」 聴覚に訴える季語。猫の子、子猫も春の季語。 雨漏りを指さす人と瓦廊かな 昭和11年 のはどちらとも正しいですか?, 人との会話で相手が「百歩譲っても」という言葉を使って来ました。 >百歩譲っても・・だとしても・・・と, 京都府を、京都といいまふね。 東京都も、東京といいますね。 千葉県を千葉といいますね。 では、北海道, 「母一尺の鏡を鋳る。」の、 「鋳る」はなぜ、ヤ行の上一段活用になるのですか?? なぜヤ行になるのです, 敬語の使い方について 痛かったので歯科医院の予約をしました。 症状を聞かれたので、 「左の奥歯が痛い, 隙←この漢字、げき、と、ひま、以外にもう一つ読み方があった気がしますが、なんでしたっけ?, 「儘塙」という漢字の読み方 谷崎潤一郎の書いた「少年」という小説に儘塙の家というのがでてきたのですが, 宿20系統とかあるじゃないですか?この宿って漢字の読み方はシュクですか?それともヤドですか?, ※各種外部サービスのアカウントをお持ちの方はこちらから簡単に登録できます。 べっとりと濡れた今日の賃金が同じだ 橋本夢道, こうした新傾向俳句の広まりに対して、一時俳壇を退いていた高浜虚子は1913年頃に俳壇に復活、季語・定型を重視する立場を表明し「守旧派」を自称した。1928年頃からは「客観写生」の理念に加えて「花鳥諷詠」の理念を説き、俳句とはすなわち季節の風物(花鳥風月)を詠むものであるとして無季俳句を排斥する立場を取る[16][17]。虚子の主宰する「ホトトギス」の伝統俳句は俳壇の主流となり、これにより「季語を持たないものは俳句ではない」という観念が広まっていった[18]。なお20万を超えると言われる虚子の句の中には無季の句もあり、以下のような数句が確認できるが、いずれも後年になって句集・全集などから削除されたり、別の句に差し替えられたりしている[19][20]。, 虎の皮の褌に居る虱かな 明治32年 俳句の面白さです。 をご一読下さい。, 「プレバト俳句 夏井先生の添削を添削する」

「畳替(たたみがえ)」 正月迎えのために行っていたことから。 荷物置き上着脱ぎかけ発車待つ 昭和12年

「迷句でも楽しめば良い」と割り切って しんじつたべ酔うた百姓のよろしき雨降り 栗林一石路 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 日野草城 しんしんと肺碧きまで海の旅 篠原鳳作 無季俳句(むきはいく)は、季語を持たない俳句のこと。また季語はあっても季感(季節の感じ)を持たない俳句や、季語の有無を問わず詩感(ポエジー)を第一義とする俳句を含めることもある[1][2]。「無季」に対し、句が季語・季感を持つことは「有季」(ゆうき)という[3]。, 無季の問題は江戸期、松尾芭蕉の時代から議論されてきた難題であった[1]。近世に成立した俳諧(俳諧連歌)においては、連歌の約束事を継承し、発句(ほっく。最初の五七五の句)には必ず季語を入れるべきものとされる一方、連句の座を離れた場においては無季の発句もしばしば作られていた。近代になって独立した発句を俳句と呼ぶようになるが、「ホトトギス」を長く主宰した高浜虚子は、花鳥諷詠を俳句の本質として唱えて無季俳句を排斥し、俳句は季語を含むべきものとする伝統俳句の考えを普及させた。, 近代俳句史においては、無季の問題は明治末期から大正期にかけての新傾向俳句運動、昭和初期の新興俳句運動、昭和30年代の前衛俳句運動という三つの俳句革新運動において提示され、時代ともに深まりを見せている[1][2]。今日の俳壇においても、無季俳句に対する立場は個々の俳人や結社・師系などにより様々である。, 俳句は俳諧(俳諧連歌)の発句が独立して読まれるようになったことから成立した形式であるが、鎌倉時代に成立した連歌においては、発句には必ず季語(季の詞)を入れるべきものとされていた[4]。例えば二条良基の連歌書『連理秘抄』(1349年頃成立)には、「発句に時節の景物そむきたるは返々(かへすがへす)口惜しき事也」と、発句に当座の季節に合わない句を用いることを戒める言葉が記されている[5]。しかし発句以外の部分では一定の式目(ルール)に従って無季の句を詠むことが可能であった。このような無季の句は「雑(ぞう)の句」と呼ばれ、例えば百句で成立する形式の「百韻」では、全体のほぼ半数が雑の句によって占められるのが普通であった[6]。, 連歌の発句において季語が求められたのは、これらが「座」の文芸であり、当季の季語を用いて句を作ることが、その席で作られた句であることを示す当意即妙性の証と見なされたからである[3]。近世になって、連歌では用いられない漢語や俗語(俳言(はいごん)と呼ばれた)を使用した俳諧連歌が成立するが、以上のような連歌の決まりごとは俳諧連歌においても継承され、発句において無季の句が詠まれることは非常に稀であった[7]。一方、芭蕉の時代から俳諧連歌の興行とは独立して発句のみを作ったり鑑賞したりすることが行われるようになり、このような発句においては必ずしも多くはないものの無季の句が作られている。芭蕉の門人・向井去来の著書『去来抄』では、門人・卯七からの「蕉門に無季の句興行侍るや」(蕉風では無季の句を発句とした俳諧連歌の興行は行われますか)との質問に対し、去来は次のような返答をしたと記されている[7]。, 無季の句は折々あり。興行はいまだ聞かず。先師(引用者注:芭蕉のこと)曰く、発句も四季のみならず、恋、旅、離別等、無季の句もありたきものなり。されどいかなる故ありて、四季のみとは定めおかれけん。そのことを知らざれば、暫く黙しはべるなり。, 芭蕉の無季の発句は後掲するものを含む9句が知られている[1]。のちに芭蕉の門人の一人であった広瀬惟然は、無季の発句を当然あるべきものと主張し、『二葉集』『花の雲』『当座仏』などで自身の門人とともに無季の発句を多数発表した。しかし奇矯な作風に流れたことが災いしその主張も広く受け入れられることはなく、以後近世中には無季の句をめぐる運動は起こらなかった[8]。, 歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな 松尾芭蕉 | 歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫 「天の川」 七夕を思い出す言葉だが、季語としては秋。 「伊勢参(いせまいり)」 類する言葉もすべて春の季語。